2012年11月3日土曜日

学校が守ろうとしているのは…

(以前にも、どこかで書いたかもしれませんが…)学校というところは、多くの個人情報の集まる場所です。その昔、地域コミュニティーがしっかりしていて、学校よりも地域コミュニティーの方が情報量が豊かだった時代には、各家庭の状況や子どもの実態を地域の人達がよく知っていて、個別の対応をしても誰も文句を言わなかったと思います。しかし、地域のコミュニティーが崩壊してしまった今日にあっては、学校の方が個人情報が集まっているという状況になってしまい、個別のニーズに対応してしまうと「不公平だ」「説明をしろ」と、さも学校が悪いような言われ方をするようになってしまいました。

よく考えれば分かりそうなことだと思いますが、例えば、ある子どもに発達障がいがあることがわかったところで、全校で「この子は発達障がい児です」と紹介することなど皆無と言って良い。その他にも、偏見をもたれやすい病気や障がいを持った子どもが在籍している場合も、できるだけ偏見を持たれないように配慮し、必要な補助をする(十分とは言い難いのは別の問題として)のが学校というところです。その場合も、病名や障がい名をはっきり言うことは、ほぼないと言ってよいでしょう。しかし、それに由来する問題が発生した時、「学校は何をしているんだ」と叩かれても、説明のしようがないことがあります。

例えば、突然病気や障がいを抱えている子に対応しなければならなくなって、担任が教室をあけていたとします。その間に子どもたちがケガをしたとして、その原因を追求して「先生は何をしていたのですか?」「いつもその子にばかり目をかけるのはおかしいのではないですか?」と言われても、「実は…」と本当のことは言えないのです。だから、お詫びする以外にない。(余分に人を雇える状況にもないのですから対策のしようもない)それを指して「先生は隠し事をしている」「隠蔽体質だ」「本当のことを言わないのは不誠実だ」と言われても困るのです。
#最近「思いやる」とか「慮る」ということができない方が多くなったように思いますね。

更に深刻なのは、保護者自身が抱える病気や障がいです。子どもに罪はないのに、子どもが周りの子どもや大人からいろいろと言われてしまって傷ついてしまうことがあります。「先生からも保護者に言ってください」とお願いされることがありますが、これこそどうにもならない。もちろん本当のことなんか絶対に言えないです。場合によっては、変な噂として、事実でないことが流れてしまうことがあります。学校で「それは事実ではない」と言ったところで、保護者を巻き込んだ噂話はなかなか止められません。

学校を叩く前に、先生たちは何を守ろうとしているのかを考えて欲しいのです。自己保身だけに走る不届きな輩が存在することは否定しません。しかし、多くの場合は、子どもたちや保護者を守ろうとしています。そこには、個別の事情があるのですから、すべてを明らかにすることはできません。本人たちが同意して、是非話して欲しいと言われない限り、それを口に出すことはできないのです。そういう、学校が置かれた状況をよく理解しなければ、今の学校問題の本質が見えてこないと思います。
#他にもたくさんありますが、まずは一つということで。

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