2012年11月11日日曜日

学校が教育の最先端であるべき

私が若かりし頃は、研修先を見つけてさまざまな教育研究のイベントに参加したり、教育系の書籍を集めている書店に足を運んで本を買いあさって勉強したり、自分の指導力を向上させようと努力をしたものです。(そう言えば、独身の頃の休日は、図書館にいることが多かったなぁ。今はネットで調べられて便利だけど)否、そうしなければ校内での研修や官制研修だけではなかなか難しいという現状があったのだと思います。 結婚をし、子どもが産まれると外へ出る機会も減りましたが、その当時培ってきたことが今に生かされているなと感じることが多々あります。

その当時から比べると、教員の仕事はどんどん煩雑になり、やらなければならないことが多くなりました。合わせて、子どもたちの実態の変化や保護者・地域からの要望等まで考えると、若い先生が自己研鑚に時間をかけることができない現状があるような気がしてなりません。平日もかなり忙しいため、休日に子どもたちの作品やノートを持ち帰って添削する人もいるくらいですから、研修に使える時間もかなり限られたものになるでしょう。「それでも頑張れ」と発破をかけるのはたやすいことですが、現実の問題として、それでは先生たちがどんどん疲れていくだけになってしまいます。私自身は、遠くへでかける時間がないのなら、せめて近くで何かしてあげることができたらと考えることもあります。

そんなことを考えていた折、「なぜ学校現場が教育の場のみで研究の場になっていないのか」という疑問が湧いて来ました。教育の最先端は、その対象となる子どもがいる現場であるはずで、子どもから離れた場所に最先端があるという考え自体がおかしいことだと思うのです。これは、教育政策の内容なのかもしれませんが、研究者が学校に入って学校の実態をしっかりと捉え、現場教員とともに研究を進めることができたら、そして、その成果を多くの学校や教員でシェアすることができたら、学力向上にもつながるだろうし、教員の資質向上にもつながるだろうし、教育学も発展する気がします。もちろん、現状のままで単純に研究者を入れても、忙しい教員にとっては「厄介な制度」なだけですのでお断りと思われることが多いでしょう。しかし、教員の仕事として教育と研究の両方をきちんと位置づけ、その時間を確保し、その立場を保証し、社会的にもそれを尊重することができたなら、徐々に成果が現れるように思います。(その意味で、行政的な思考で取り組まれてしまうと、きっと失敗する気がします。教育が行政から独立する必要があると思いますが、そのことは別の機会に。)

教育とは関係のないところで先生を使って、資質の浪費を行うくらいなら、教育の専門家としての誇りを持たせ、その資質向上に専念してもらうことの方が重要なのではないかと考えます。そのための仕組みづくりが重要なのですが、現状でできることとできないことを明らかにし、どうすればそういう仕組みを作ることが出来るのか、考えて行かなければならないと思っています。

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