2014年4月19日土曜日

小学生にVTRによる授業が難しい理由

 最近話題の「反転授業」に絡んで、「優れた授業をVTRに撮って、それを予習として(タブレットPCで)視聴させておいて、学校では子どもたちに学び合いをさせて、教員はわからなかった子のケアをする」(趣旨)というようなことを小学校でやらせるという話が聞こえてきました。
#他にも問題がてんこ盛りなのですが、長くなるので今回は「反転授業」に絞ります。

個人的には、反転授業というやり方そのものを否定するつもりはありません。小学生向けにも、地に足の着いた良い実践を行っている事例があります。私はむしろ、先行研究に学んで、なぜこの方法がうまく行ったのかを丁寧に検証する必要があると思っています。しかし、先述の話題になった反転授業を行おうとしている人たちからは、丁寧な検証を行おうとする雰囲気は感じられませんでした。

ではなぜ、某市の反転授業がダメなのかを細かく考えていこうと思います。

1. 優れた授業のVTR?
小学校が教科担任制ではなく、担任が様々な教科を教えることになっていることをみなさんはどう感じているでしょうか。「専門的なことは教えられない」「教員の専門性によって学習に偏りが出る」など、批判的な声も聞きます。そのためもあって、高学年で部分的に教科担任制を採用(これには別の意図もありますが)している小学校もあります。でも、やはり低学年では担任がすべての教科を教える小学校が多いです。そこで、「低学年では学習内容のレベルが低いから、誰にでも教えられるから」と考えるのは間違いです。小学生たちが教員を通して学ぶとき、大切なのは「説明のうまさ」ではありません。子どもたちは、教員の言葉だけでなく一挙一動から学ぶのです。特に低学年ではその傾向が強い。理由は簡単、「言葉が通じないから」です。

大人でも、説明して納得してもらったはずなのに、後から聞くとわかってなかったということがあります。それが、著しい状態と考えればわかりやすいでしょうか。高学年になると多少安定感はありますが、高校生や大学生とは大きく異なります。だから、高学年の部分教科担任制の授業でも、クラスによって、時間によって授業の仕方を変えていかなければなりません。言葉も順序も仕草も目配りも立ち位置も…etc。そういう子どもたちに「VTRで」授業を観せて理解させるというのは、担任だから、子どもたちが知っているからできることで、全くの別人が万人を相手に行った授業では、わからない子が続出します。さて、何を持って「優れた授業」と言うのでしょうか。
#子ども向けのテレビ番組のノウハウを使う方がまだましです。

2. そんなVTRで授業の予習?
予習を前提とした授業展開そのものは、小学生にとって無理なものとは思えません。問題は、「優れた授業のVTR」と言われるものの中身です。はじめのうちは物珍しさから、(ある種の義務感も生じるとは思いますが)予習のためにVTRを観ることに抵抗は少ないと思われます。しかし先述の通り、わからない状態が生まれた後、学校で教員がケアをするとは言っても、「このVTRの先生の授業はわからない」と子どもに認知されてしまったものを、毎回見て来いというのが苦痛にならないとでも思いますか?モチベーショを維持できると思いますか?そんなVTRを観て学習効率を上げることができますか?答えは自明ではないでしょうか。それとも、「VTRを観るとポイントが貯まる」とかやりますか?
#個人的には、宿題でさえ全員の分が揃うのが難しいのに、予習前提で授業が進むというのは、学習弱者の切り捨てに感じます。特別な支援・配慮を要する子たちは、切り捨てて良いのでしょうか?

3. 子どもたちの学び合いを軽く考えていませんか?
学び合いの授業を参観すると、教員が何もしていないのに子どもたちが勝手に学び合っているように見えるかもしれません(「先生は暇でいいなぁ」とか言われる)が、相応に緻密な準備と指導があってのその姿なのだということを理解してほしいと思います。学習効果を上げるように学び合えるクラスを築くためには、「学び合い」だけを研究してもなお難しいところがあります。なのに、あれもこれも一度に変えて、本当に一緒にして良いものかわからないようなものを混ぜこぜにして、「さあやれ!」と号令をかけられているのだから、成果の程は期待できないと思います。「子どもたち相互の自然な学び」を促すためには、学校というところが相当に不自然な場所である(むしろ世間から隔離して学びに集中させるための施設なのだし)ことを考慮し、できるだけ自然にコミュニケーションできるような雰囲気を醸成しなければならないのです。

4. 教員はわからなかった子のケアをする?
実は、この話が報道される前、F氏がこれについて話すのを聞く機会がありました。曰く「大量退職に伴う大量採用で、教員の質が低下する。優れた授業をVTRに撮り、それを反転授業で使って、教員はわからなかった子のケアにあたる。」という趣旨の発言をしていました。この時の違和感。授業のわからない者に、子どもたちの学びをファシリテートすることなどできません。「そんなVTR」を観てわからない子をケアするには、その授業内容を熟知し、それを凌駕する指導力がなければならないのです。小学校の授業というものは、子どもたちの理解に合わせてするものです。つまり、学習の目標に対して、子どもたちのつまずきどころはどこか、何がわからないと感じているのかを理解していなければ授業を組み立てることさえできません。逆に言えば、これがわかっているのなら立派な授業ができるのです。
#きっと某市では、授業が出来る先生が指導に当たることでしょう。本当の意味でF氏の論理を検証することはできないと思われます。

F氏の発言の中に、「授業ができる教員を育てる」という視点がごっそりと抜け落ちていました。 彼の言うところの「優れた授業のVTR」を担う優れた授業が出来る人は、どうやって育てるつもりなのでしょう。

私はむしろ、学校こそ「学びの場」であり、教員はそれをコーディネートし、ファシリテートする授業者であるべきだと思っています。子どもたちと向き合い、人間関係を築きながら知的に高め合えるような学習場を作っていきたいと思っています。

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