文章でも数式でも楽譜でも、パッと見てその構造が見える(読める)人がいます。これ以外にも、いろいろなことがパッと思いついて直ぐに理解できてしまう人っていますよね。そういう人達にとっては、見えない(読めない)人のことがわからないと感じてしまうのではないかと思います。逆に見える(読める)人が天才だと思ったり、自慢しているようで感じが悪いと思ったり…。
見える人にとっては、それは至極当たり前で、なぜ見えるのかなんてあまり考えることもないかも知れません。でも、ちょっと振り返って、自分が何故見えるのかを考えて、見えない人にも分かりやすいように説明できるようになったら、きっとみんなの役に立つし、自分の理解も更に深まるのではないかと思います。もしかすると、その理解の方法は、他の人のそれとは全く違ったり、今まで信じられてきた学習・習熟方法とは明らかに違う可能性もあったりするのですから。
#これを子ども同士ができるようになることを目指しています。
我が子が楽譜を見ながらたどたどしくピアノの練習している姿を見て、ふとそんなことを考えてちょっとやってみました。全体を見るとIntro-A-B-A-Cという構造の楽曲で、Aは伴奏を担当し、B、Cは旋律を担当するような楽譜でした。伴奏部分はI、IV、V7の3和音が繰り返し出てくるだけのごく簡単なものです。しかし、我が子にとっては構造が見えないので、同じパターンが繰り返し出てきているだけなのに一々音符を読もうとしている。(和音の音符なんか弾くたびにいちいち読んでいたらスムースに弾けるわけがない)そこで、同じ和音を蛍光ペンで色分けすることにしました。我が子と一緒に確認しながら3色に色分けすると、構造がはっきりしたらしく、スムースに弾くことが出来るようになりました。面白いのは、2回目のAが現われたところで、「さっき(はじめのA)と同じ」だということに気づいて、色分けをしなくてもスムースに弾くことが出来たことです。つまり、パターンが読めたということです。
この楽譜には、AやBなどの構造を表す記号もなければ、和音に対してもIやIVなどは明記されていません。多分、子どもたちには難しいのではないかとか、記号が多すぎるとかえって混乱するのではないかというような配慮があったものと推察しますが、楽譜を読むことが苦手な子どもにとっては、手がかりをつかむことが出来ずに往生することになってしまうのではないかと思いました。(だからと言って、変えた方が良いというような自分勝手なことは絶対に申しません。だって、ほとんどの子どもが、そうしなくても理解しているのですから。)
翻って、日常の学習指導において、「見えないものを見えるようにする」ことはとても重要なのだと思いました。今回は、色分けすることで見えるようになりましたが、人の理解は一様ではないので、万人に通用するとは言えません。しかし、「わかっている人たち」がどう見えるのかを語ったり、視覚化したりする、つまり表現することで、よりわかりすくなることがあるということだけは間違いなさそうです。子どもたちの表現力を育てるというのは、こういう意味があるのだと思います。子どもたちが「わたしには、こう見える」と語り合い、表現し合う教室を目指したいなぁと思っています。
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