2011年10月23日日曜日

自宅PC環境の整理と整備

このところ、PCの自作に興味がなくなってきて、自室にある古いPCたちを処分したいなぁと思い始めていました。いずれも、Linuxで運用しているのですが、一番古いのは2003年に自作したCeleron 1.4GHzのサーバ(ファイルサーバ、DHCPサーバ、自宅LAN専用Webサーバとして使っていました)と、以前にUSB周りが壊れたマザボをカセットデッキの筐体に載せたもの(こちらはDuron 1.4GHz)なので、まずはこれを処分することにしました。

それぞれのPCを解体して、使えそうな部品だけ取り出しました。とは言え、かなり古いものですから、あまり欲を出して取っておいてもどうせ使わないだろうと考えて、思い切って捨てるべきものは捨てることにしました。メモリ、グラフィックボード、LANカード…マザーボードとどんどん片付けていき、サーバの筐体を見たときに、「小さな本棚くらいには使えそうだなぁ」と考えて、本棚として使うことにしました。
#今、この記事を書いているMacBookの下にあります。

本来ならサーバを先に作って移行作業をすべき所ではありますが、そもそもHDDを使い回すことを前提として作業をしていたので、Celeron D 330(2.66GHz)のマシーンにHDD(250GBのHDD2台)だけ載せてみました。はじめは、openSUSE 11.4アップデートインストールでうまく行きそうだったのですが、上手く再起動ができなかったのでクリーンインストールしてみました。(そのため、バックアップ保存していたデータが全部消えました。orz)それでも状況は改善せず、さてはハードウエアの問題だろうと考えて、変則的に接続していたHDDのIDE延長ケーブルを交換したらうまくいきました。はじめから、これをやっておけば良かったと悔やまれるのですが、後の祭りは日常茶飯事なので、くよくよしないで次に進むことにしました。その後、rootのパスワードを設定($ sudo passwd)し、YaST2の「ソフトウェアセンター」を利用してNetatalkやDHCPサーバをインストールしました。NetatalkはYaST2の「システムサービス」から動かして、DHCPサーバはネットワークサービスから設定ウィザードで設定をして、ファイアウォールも設定して以前と同じ環境になりました。

一方、先日直したばかりのUbuntuで運用してきたPC(Celeron 2.0GHz)も現役を引退させ、Atom 330(Dual 1.6GHz)を使うことにしました。このPCにはHDDを入れていないので、USB 2.0で接続している外付けHDDに最新のUbuntu 11.10をインストールしました。インターフェイスがだいぶ変わったので、ちょっと戸惑いながらも必要なソフトウエアを「Ubuntu ソフトウェアセンター」からインストールしました。でも、ちょっと細かいものになると、上手くインストールできない感じなので、「Synaptic パッケージマネージャ」をインストールして、今までと同じ環境で必要なソフトウエアをインストールすることにしました。まだまだ元の環境に戻ったというところまではできていませんが、時間を見つけてインストール&動作確認をしていきたいと思っています。

2011年10月10日月曜日

3年目のカブトムシ飼育〜幼虫がマットの上に出ていたら要注意

このところのハンパない忙しさのため、しばらく放置状態が続いていたカブトムシの幼虫ですが、昨日の夜、マットの上にはい出ているのを発見して、世話をしなければならない状況にあることを思い出しました。

以前、卵を十数個、成虫から隔離しておいた平たい飼育ケースからは、 7頭ほど無事に3齢にたどり着いた幼虫が出てきました。ケースの中身はフンだらけでしたから、世話をサボりすぎたことがわかります。生存率が半分程度になってしまったのも、そのせいだと思われます。

次に、先日まで成虫が入っていた大きい飼育ケース(このケースのマットから幼虫がはい出ていた)のマットを少し掘ってみると、3〜4頭いるのがわかりました。このままではよくないと考えて、フンをふるいにかけて取り除き、両方のマットを合わせてこちらのケースに詰めて、朝になるのを待ちました。外においてあるコンテナの様子も気になりましたが、既に暗くなっているので夜の作業は避けました。

という訳で、今日は朝からカブトムシの世話をしました。コンテナの方には、遅く羽化したオスのカブトムシが2頭いますが、空いた平たい飼育ケースの方に移ってもらうことにしました。(落ち葉を敷いて、餌を入れてあります)その後、コンテナの中のマットを見て、自分の失敗に気づきました。マットがほぼ完全にカラカラに乾いているのです。ナメクジが大量発生するほどの湿度があったので、すっかりマットの加水を忘れていましたが、思ったより深刻で、30cm弱くらいの深さまで敷き詰めてあるマットの上部半分は全く水分を感じないほど乾燥していました。取りあえず、乾いている部分を取り除いてまだ湿り気が残っているところを掘り起こして見ましたが、かなり広いのになかなか幼虫が出てきません。そもそも、このマットを敷き詰めるときに丁寧に加水作業をしなかったことも反省しました。(加水に時間をかけて、丁寧に揉み込んだ状態にしておくと長持ちすると思います)

フンが全くでてこないのでもうダメかと思ったのですが、底の方で硬くなったマットの中に3頭の3齢幼虫を発見しました。しっかりフンもしていたので、元気にマットを食べていたことがわかりました。ホッとしたのと同時に、手を抜いてはいけないことを改めて思い知らされました。今回は、丁寧に加水してもう一度マットを入れ直して幼虫を戻しました。(水につけておいた朽木も一緒に入れましたので、少しは水分補給になると思います)
#もしかすると、このコンテナには遅く羽化したものを中心に入れておいたので、遅く羽化したものには、繁殖に関する何らかの障害があるのかも知れないと思いました。

大きな飼育ケースに入れておいた幼虫たちも、こちらのコンテナに引越しをお願いすることにして、マットを掘り出してみました。こちらのケースからは、13頭の幼虫が出てきました。丁寧にフンを取り除き、マットをコンテナに移しました。こちらのマットは、しっかり加水されていて、幼虫たちにとっても過ごしやすかったのだと思います。これで合計16頭の幼虫がコンテナの中で暮らしていることになります。昨年よりはだいぶ少なくなりましたが、コンテナ飼育のやり方を考えながら飼育するには調度良いかなと自分に言い訳しつつ、それにしても世話をサボりすぎてしまった自分を反省しつつ、次は冬前にマット交換をするつもりです。

2011年10月9日日曜日

Ubuntu 11.04で作ってきた環境を復活させる

先日、Ubuntu 11.04で動かしていたPCの調子が突然悪くなり、OSが起動しなくなってしまいました。ハードウエアの故障かも知れないと思いましたが、取りあえず上書きでOSだけをインストールしなおすと、再び動き出したのでちょっと一安心。と思ったら、マウスが動かない状態になってしまいました。(もしかすると、HDDがそろそろ寿命かもしれないと思っています)このままでは使えないので、渋々クリーンインストールすることにしました。

これまで、いろいろと環境を整えてきていたマシーンだっただけに、かなりの痛手。もし、HDDが寿命を迎えていて、再び同じような状況になるのなら復旧作業が無駄になる可能性があります。そこで、より簡単に復旧できるように、「Synaptic パッケージマネージャ」だけでどこまで必要なソフトウエアを入れることができるか試して見ることにしました。

はじめに、いきなりデフォルトのリポジトリ設定では出てこない「Scratch」を入れてみることにしました。Scratch on Linuxのサイトから、Personal Package Archive (PPA)のページに入り、Ubuntu 11.04でのリポジトリの設定を確認(deb http://ppa.launchpad.net/scratch/ppa/ubuntu natty main)して、Synapticに追加します。すると、Scratchが検索できるようになり、インストールの設定をすれば自動的にインストールされるようになりました。(日本語でのバグは手動で直すしかありませんが)

続いて他のソフトも入れました。Wine 1.3OpenJDKIPA FontpTeXと入れて行って、この作業が面倒になって来ました。そこで、一旦Synapticから離れて、「Ubuntu ソフトウエアセンター」から電子工学(Eagle、Qucsなど)、教育・教養(eToys、Sugarなど)、科学(KSegなど)、プログラミング(Eclipse、Squeakなど)、サウンドとビデオ(Amarok、Rosegardenなど)、グラフィックス(Blender、QCadなど)、オフィス(Kile、Texmakerなど)に分類されるそれぞれのソフトウエアを入れて行くことにしました。驚いたのは、「Arduino IDE」がソフトウェアセンターからインストールできたことです。その勢いで「Processing」もと思いましたが、残念ながらありませんでした。

この作業をしながら、こういうリストをネット上に保管しておいて、不都合があった場合に読み出して、すぐに復旧できるようなシステムがあるとありがたいなぁと思いました。 Synapticやソフトウェアセンターでそんな機能はないか調べて見ましたが、どうやらなさそうです。せめてインストールしたもののリストだけでも保存しておいて、後から読みだして自動的にインストールする仕組みがあったら何倍も楽だろうと思います。
#既に作られていても良い気がしますが…。

2011年9月17日土曜日

学校で育てられる「生きる力」とは何だろう

子どもたちと一緒に修学旅行へ行ったときのエピソード。家康の墓日光)までの石段の数を数えるのに、1から順番に数えているのがどうも効率が悪くて、もう少し簡単に数える方法は考えられないのかなと話してみました。なぜ効率が悪いかと言えば、段数を数え上げていく中で全ての位の数を読まなければならないルールにすると、何らかの理由で途中で止まってしまったとき、はじめから数え直さなければならなくなってしまったり、階段を登ったり降りたりしながらテンポよく数えようと思っても、数の読み方が必ずしもテンポが良いわけではない(数字の読み方をローマ字にするとよくわかります)ためにつまずいてしまったりするからです。

そこで、例えば1〜10まで数えて指を折り、また1〜10まで数えて次の指を折るような数え方をしてみたらどうだろうかと問うと、指を折る方が面倒だというのです。私が提案した方法を分析的に捉え直すと、口は一の位、右手は十の位、左手は百の位を表すというような考えでした。(もちろん、子どもたちにはこんな難しい言い方ではなく、実演しながら説明しました)

このことから、子どもたちの「数感覚」が見えてきました。子どもたち(たとえ6年生であっても)にとって、数とは1から順に並んだ(順序数的な理解)ものであり、十進数の肝である「10ずつ束にする」という捉え方はできていたとしても、それは決して彼らの自然な理解ではないのだということです。わかっていても使えないのなら、わかっている価値がない。数を束で捉えられるような学習機会(あるいは学習場面)を工夫していかなければならないなぁと感じました。

一方で、このエピソードから学習自体を忌避する傾向の根強さも感じました。自分が今までやってきた方法ではないやり方に対して、やってみようとする態度よりも拒絶する態度の方が強いのです。これは、自分自身が有能であることを信じようとする心理的な働きであろうとは思いますが、このことが学習を阻害し、学習したことを生かす力(生きる力)を育てることにマイナスに働くのだとしたら、とても皮肉なものだなぁと感じました。(養老先生が「バカの壁」で言おうとしたのは、こういうことなのかも知れないと思いました)

学校で育てられる「生きる力」とは一体どういうものなのだろうかと考えさせられました。

2011年9月10日土曜日

尊敬する人は「親」で本当にいいの?

最近、子どもたちに「尊敬する人は?」と聞くと、「(自分の)親」と答える子が多いのが気になっています。私の子どもには、私のような取るに足らない人間を目標にしてもらいたくない。親など乗り越えて、立派に成長してもらいたい。そう願っているからです。

幼い頃の子どもたちのあこがれは、仮面ライダーや戦隊ヒーロー、アイドルやスポーツ選手など、テレビに出ている人であることが多いと思います。幼いながら、その「人物(キャラクター)」に憧れを抱くのだろうと思います。あるいは、幼稚園や保育園の先生など、身近にいて親ではないのに自分の世話をしてくれる人(世話になっている意識がないということはあると思いますが…)に憧れる場合もあるでしょう。しかし、成長するに連れて、将来の夢は職業になり、その職業に就いている人物に憧れるものの、生き方としての目標は、身近にいる「親」ということになってきます。そこには既に「大志を抱く」というような感覚はなく、今の自分から考えて「自分の親くらいが妥当」というような感覚が見え隠れします。

また、本気で自分の親を尊敬し、憧れていると言う子どもたちの中には、「では、その生き様やその人生を決めた出来事を知っているか」と問うと、「詳しくは知らない」と答えることが多く、人の生き様を知りたいという感覚もないという場合があります。ただ、「いつも優しい」「兄弟や友だちみたいに接してくれる」「私の言うことをよく聞いてくれる」と。そこに、生き様に関わる何かが含まれていないとは言いませんが、その程度で「尊敬」していると言い、自分の人生の目標としてしまって良いものだろうかと疑問に感じます。

こうしたことからも、先達の生き様を学ぶことは、とても重要なことだと思います。幼い頃からさまざまな人物の生き方や哲学を学ぶことは、その子の人生に大きな影響をあたえることだと思います。今の子どもたちの中にも、歴史的な人物に関心が高い子がいるのは少々救われる気がしますが、その人物が何をしたのかということよりも、どういう哲学を持って生きたかということに関心を持って欲しいと思います。当然のことながら、時代が違う現代にあって全く同じことはできませんが、その哲学を今の自分に生かせる人に育って欲しいと願っています。(だから、歴史的な人物を漫画のキャラクターのように顔立ちや見た目だけ取り上げるようなやり方には、強い違和感があります。過去の人物を現代風に「翻訳」するなら、福田恆存氏がイギリスの古典文学であるシェークスピアを翻訳した時のような慎重さが必要だと思います)

人が生きる上で最も重要なのが「生き方」を知り、「哲学」を持つことなのだと思います。それは、幼い子どもでも同じです。それがなければ、何のために生き、何のために学んでいるかわからないし、真の喜びや楽しみもわからないと思います。そして、自分の口で「こういう人物になりたい」と言える人へと成長して欲しいと思っています。

2011年8月21日日曜日

☆(Star)Board Orangeを組み立ててみました

mbed(詳しくは「mbedを始めましょう!」を参照)用評価ベースボードとして開発された、☆(Star)Board Orange(以下「☆Board」)というのがあります。これは、私も先日購入して使い始めたmbedを載せて様々な実験をすることができる評価ベースボードです。今回は、スイッチサイエンスで「☆Board Orange 単体基板」を購入しました。同完成基板もあるのですが、部品リスト(PDFです)を見ながら自宅の部品箱の中を確かめると、あるものが多かったので、足りない部品だけを買い揃えて作ってみることにしたのでした。

組み立て方法は、「ハンダ付けステップバイステップ」のページを参考にしました。表面実装部品のmicroSDカードコネクタは既についていましたので、その先からスタートでした。部品リストには、秋月の商品番号が書かれていたので、足りなかった部品はそれを参考に買い足しました。部品点数もそれほど多くなかったので、ハンダ付け作業はだいたい2時間程度で、無事に☆Boardが完成しました。

動作確認のために、「mbed評価用ベースボード」のページにある「4.評価済み Cookbook サンプルプログラム」を参考にして、サンプルプログラムを動かしてみました。ちょっと難関だったのは、ジャンパの設定でした。一応、以下のように書かれているのですが、LCDのデータシートと合わせて確認しなければなりません。(写真も若干あてにならない)

ジャンパ説明上側選択下側選択
J1 LCDモジュールの電源電圧を選択します。+3.3V+5V
J2LCDモジュールの2番ピン機能を選択します。J1で選択した電源電圧を供給。グランドに接続。
J3LCDモジュールの1番ピン機能を選択します。J1で選択した電源電圧を供給。グランドに接続。
J4 LCDモジュールのコントラストピンに対する設定です。-2Vを供給。グランドに接続。
J5LCDモジュールのR/W-ピンに対する設定です。R/W-ピンをmbedに接続。R/W-ピンをグランドに接続。

「上側・下側」というのは、mbedを下方向、LCDを上方向に置いた時の上下関係を意味しています。ジャンパの設定については、基板上にもシルクでそれらしきことが書いてありますので参考になります。私の設定は、以下の通りです。

  • J1…+5V
  • J2…2番ピンGND
  • J3…1番ピンVdd
  • J4…-2V
  • J5…GND

はじめは、なぜかうまく動かなかったのですが、mbedを抜いたり挿したりしながら、何度かコンパイルし直してプログラムファイルを入れ替えたりしているうちに、無事に表示するようになりました。(もしかすると、半固定抵抗の設定が間違えていただけだったのかも…)

動かしたサンプルプログラムは、次の通りです。

#include "mbed.h"
#include "TextLCD.h"
TextLCD lcd(p24, p26, p27, p28, p29, p30); // rs, e, d0-d3
int main() {
lcd.printf("Hello World!\n");
}

「TextLCD.h」は、mbedのWebサイトから「Compiler」に入り(ログインが必要)、「Import」を選択して「Libraries」の中から「TextLCD」を探して入れました。いろいろと試行錯誤したおかげで、mbed Compilerの使い方もだいぶ覚えました。☆Boardは、かなり便利な評価ベースボードだということがわかってきました。これから時間を見つけて試用していきたいと思います。

2011年8月12日金曜日

古い文献に学ぶ

思いがけない方から、40年近く前に出版された本を頂きました。私が算数の研究をしていることを知って、「退職して要らなくなったから」と頂いたものです。そこに著者として名を連ねているのは、今も算数数学教育界の重鎮としてご活躍の先生方や既に伝説となっている先生方でした。当然のことながら、この本が私の手元にやって来たこと自体が稀有のこと。まだ、ざっとしか目を通していませんが、研究意欲が湧いてきています。

中でも目を引いたのが「発見学習」について書かれた一冊でした。ときは現代化の時代。算数数学教育に関する研究も盛んに行われたらしく、今でも有名な研究者が次々と引用されていました。著者は、行政のお立場でこれだけの研究をなさり、かつ本まで出版されるとは並々ならぬご苦労があっただろうと思います。一方で、それを許した時代的な背景を考えると、「いい時代だったんだなぁ」としみじみ思えてきます。

内容としては、今、言われているところの「問題解決学習」に近いのですが、「発見」と言うだけあって、子どもたちに数学的な原理を発見させることを目的とした学習スタイルが提示されています。驚いたことは、既に数学的表現として「式、図、表」を相互に表し直すというようなことが書かれていたことです。そして、話し合い活動も含まれています。今、世に出しても、古いとは言えないなぁと感じながら読んでいます。

これをきっかけに、私の手元にあった古い本や古い本の覆刻本を引っ張り出して読み始めました。時代は様々ですが、普遍的な課題がそこにある気がしています。今でも変わらない「学級経営のツボ」やその昔に提唱されていた「文章問題の系統性」について実践的に論じられている本もあり、まだまだ勉強すべきことはたくさんあるなぁと改めて感じました。

今、学校教育に足りないのは、「子どもの思考への理解」ではないかと感じています。子どもたちが考えていることを理解するのだけでなく、子どもとはこう考えるものであるということを理解するのです。そういうところから授業を作っていくような実践が必要だと思っています。
#本当は、教育課程自体も子どもの思考に添う内容と過程にする必要があると思っていますが、その話は後日に譲ることにして。

現場の一教員である私が、様々な研究をするには自ずから限界があります。同じ立場の教員に、「研究に没頭しろ」とは言えないと思いますし、「一緒にやろう」と言うのも難しい。しかし、ここは手を抜くところじゃないと思っていますし、これができないなら、他の仕事を削るべきだと思っています。